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  • 執筆者の写真縄文屋根

カヤブキ再発見


古民家のトタンを剥がした自宅に続き、なんと、お隣さんの屋根もカヤブキに戻すことに。

なぜ今、トタンを剥がすのか。 改めて、そんな時代に逆行する挙動を取る意味を考えてみる。

実際、結いの仕組みも途絶えた現代において、カヤブキを維持するのは、お金もかかるし、合理非合理で考えれば、確実に大変なことの方が多いだろう。

それでも、カヤブキに戻す意味。 それは、シンプルに、カヤブキには、人を惹きつける美しさがあるからだと思う。

意図して、美しさを出そうとしたのではなく、身の回りのある植物で、雨風凌ぐ屋根を、人々が協力し合って作っただけなのだが、そこに宿る美学は、まさに柳宗悦の提唱する「民藝」そのもの。

なんと「民藝運動」というのは、1926年に始まりもうすぐ100年とのことなのだが、 なるほど、今年で95歳という茅葺職人の清水さんは、その生き様と立ち振る舞い、存在そのものが、民藝の唱える美しさなんだと思う。

日本人とは何か。 自分が、カヤブキの世界に取り憑かれた根源には、そんな問いがあるのだが、 グローバルな世界に向かっている時代で、もはや国や民俗という概念は、どんどん薄れていくのを感じる。 日本人とは何か、現代にその答えを探しても、もはやよく分からない。

国が無くなれば戦争も無くなったり?自由で豊かな世界になるかもしれないが、AIと人との境界自体が危うい状態になることも起きてくるだろう。 そして、個人のアイデンティティなんて、吹けば簡単に飛んでしまう。と思った時に、民俗性という概念と、身体性という感覚が、必ず重要になってくるような気がしてならない。

昔に戻るんじゃない。 明治維新から、物凄いスピードで、100歩くらい進んできたから、10歩くらい戻ってみる。 トタンを剥がしてみたら、今まで気づかなかった景色が見えてくるはず。

今年も、我が家の屋根の上には、きれいな花が咲き始めました

しあわせは歩いてこない�だから歩いてゆくんだね�一日一歩 三日で三歩�三歩進んで 二歩下がる 人生は ワンツーパンチ�汗かき べそかき 歩こうよ�あなたのつけた 足あとにゃ�きれいな花が 咲くでしょう <引用:『三百六十五歩のマーチ』一番の歌詞より>

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